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亡き夫への思いを胸に「1・17ひょうごメモリアルウォーク」に初参加する中原和子さん=西宮市内
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亡き夫への思いを胸に「1・17ひょうごメモリアルウォーク」に初参加する中原和子さん=西宮市内
中原義博さん
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中原義博さん

 阪神・淡路大震災の17日後に夫義博さん=当時(52)=を亡くした兵庫県西宮市今津真砂町の中原和子さん(71)は17日、「1・17ひょうごメモリアルウォーク」に初めて参加する。詩歌が趣味だった義博さんは震災後、がれきに埋もれた被災地の姿に心を痛めつつ、5首の歌を詠んだ。夫の面影を追い、震災21年の朝、歩みを進める。(前川茂之)

<もたれあう人の如きか然(さ)にあらで せめぎあい佇(た)つ震災の街>

 「一つ、できたよ」最初の歌を作った時、義博さんは珍しく無口だった。30代のころから独学で始めた詩歌。句ができると必ず、うれしそうに和子さんに見せてくれた。

 「優しくて、繊細な人。傷ついた街にショックを受けていたのでしょう」

 個人で設計会社を経営していた義博さん。自宅や家族は無事だったが、震災翌日から自身が手掛けた神戸などの建物を確認するため、車や船を乗り継いで被災地を駆け回った。眠る姿を見ることはほとんどなかった。

<復興の一歩なれども悲しけれ 被災の街に解体つづく>

 2月3日。仕事帰りの和子さんは、自宅マンションに駆け込む救急隊員を目にする。行き先を尋ねると、「中原さんの家です」。

 脳管破裂。帰宅した時、既に義博さんは息を引き取っていた。「張り詰めた暮らしの中で、夫を思いやる余裕がなかった。なぜ見ていてあげられなかったのか」。激しく自分を責めた。

 関連死には認められなかったが、2003年12月、神戸・三宮の「慰霊と復興のモニュメント」に夫の名を刻んだ。東遊園地に立ち寄るたび、一緒に並んだ約5千人の銘板に命の重さを実感する。同時に、震災から21年がたち、周囲の関心が薄れていくのも感じる。

 「私たちが語り継がないと忘れられてしまう」。そう思い、初めてメモリアルウォークへの参加を決めた。当日は芦屋市からHAT神戸(神戸市中央区)を目指す。

 義博さんの最後の作品。給水所に水をくみに行った時だろう。

<ほろと散る山茶花吾(さざんかわれ)ももらい水>

 サザンカの花言葉は「困難に打ち克(か)つ」。沿道にはきっと今年もたくさんの花が咲いている。亡き夫が見た景色をもう一度見ようと思う。

2016/1/17

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