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語り部ボランティアとして、来館者と話をする松本幸子さん=神戸市中央区、人と防災未来センター(撮影・笠原次郎)
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語り部ボランティアとして、来館者と話をする松本幸子さん=神戸市中央区、人と防災未来センター(撮影・笠原次郎)

 阪神・淡路大震災で妹を亡くした兵庫県芦屋市の松本幸子さん(61)が語り部としての活動を始めた。震災の経験を自ら語ることなどできないと思っていたが、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故の被災者を目の当たりにし「これ以上、災害で苦しむ人を出したくない」という思いが、一歩を踏み出させた。(阿部江利)

 神戸市東灘区で1人暮らしをしていた妹の文枝さん=当時(37)=は、阪神・淡路の揺れで倒壊した家屋の下敷きになり亡くなった。

 旅行好きだった文枝さんは地震の2日前、松本さんに「海外旅行に行きたい」と話をしたばかりだった。翌日、芦屋市の実家に帰省した文枝さんは、母親から「泊まっていって」と引き留められたが、帰宅した。実家はつぶれはしたが、家族は無事だった。

 あの日から何かが大きく狂いだした。翌年に父が亡くなり、母も認知症を患った末に亡くなった。松本さんは夫婦で同じ会社に勤めていたが、不況のあおりも受け、どちらかが退職することになった。夫は自ら慣れない警備員へと職を移った。中古の住宅をローンで購入し間がなかった。

 松本さんは妹の突然の死を受け入れることができないばかりか、生活の見通しがたたず、心が晴れない日が続いた。

 転機は東日本大震災。2014年11月、支援グループに同行し、福島県浪江町へ。操業できない漁師、故郷に帰れない仮設住宅で暮らす高齢者の姿などに触れ、ショックを受けた。

 「阪神・淡路で『日本は災害列島』と分かったはずなのに、どうして同じように災害で苦しめられる人が出てくるの」。やりきれない感情があふれ、人と防災未来センター(神戸市中央区)の語り部に応募した。

 昨年春から計7回講演した。話していると、震災の記憶がよみがえる。病院で対面した文枝さんは毛布に包まれてまだ温かく、眠っているようだった。自転車を押しながら犠牲者が並ぶ道路脇を歩き、安否も分からない両親の元へ急いだ。悲しみ、絶望感、不安…に襲われる。

 しかし「もう二度と同じ被害を出したくない」という思いが、松本さんを突き動かす。

 倒壊した家から妹や自分の家族を引っ張り出してくれたのは近所の人たちの力による“近助”。だから「みんなもコミュニケーションを大事にして」と心から呼び掛ける。

 15年11月、再び福島県の被災地に入り、集会所で自家焙煎(ばいせん)のコーヒーを振る舞った。自分の話はせず、ひたすら聞き役に徹した。その後、家族の墓参りをし、「また福島に行くね」と約束した。

 阪神・淡路の被災地であの日を語り、東日本の被災地ではじっくりと耳を傾ける。二つの自然災害と向き合うことを、亡くなった家族に報告できた。

 【阪神・淡路大震災の語り部】 自らの被災体験を通じ、震災の記憶や教訓を伝えるボランティア。資格などは必要なく、さまざまな団体が取り組んでいる。人と防災未来センターでは2002年に始めた当初は21人だったが、15年に2人が加わり44人。年齢構成は40~80代で、70代が最多の21人。研修を受けた人たちが活動している。いかに若い世代を巻き込み、震災を語り継いでいくかが課題になっている。

2016/1/12

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