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金婚式の式典に出席するため、正装に身を包む芝重吉さん(左)とヒデ子さん。右側の建物が阪神・淡路大震災で崩壊した自宅の文化住宅=1991年4月、神戸市中央区筒井町3(家族提供)
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金婚式の式典に出席するため、正装に身を包む芝重吉さん(左)とヒデ子さん。右側の建物が阪神・淡路大震災で崩壊した自宅の文化住宅=1991年4月、神戸市中央区筒井町3(家族提供)
自宅の文化住宅でくつろぐ芝重吉さん(右)とヒデ子さん=1989年1月、神戸市中央区筒井町3(家族提供)
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自宅の文化住宅でくつろぐ芝重吉さん(右)とヒデ子さん=1989年1月、神戸市中央区筒井町3(家族提供)
地震当時の写真や新聞記事などを見ながら、両親の記憶をたどる新崎良子さん=大阪市城東区鴫野西
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地震当時の写真や新聞記事などを見ながら、両親の記憶をたどる新崎良子さん=大阪市城東区鴫野西

 阪神・淡路大震災の犠牲者らの名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区、東遊園地)に19日、今年4月に96歳で亡くなった芝ヒデ子さんの銘板が加わる。戦後の神戸で共に歩んできた夫重吉(しげきち)さん=当時(82)=を震災で亡くし、晩年は思い出も失った。「半世紀以上、2人寄り添ってきた証しを残したい」。重吉さんの名前があるモニュメントへの追加を長女らが強く願い、ヒデ子さんの名も特別に刻まれることになった。(小川 晶)

 「生きてる! 誰か、助けて!」

 1995年1月19日午前、重吉さんとヒデ子さんが埋まった木造2階建て「中井文化」(神戸市中央区筒井町3)の崩壊現場で、長女新崎良子(よしこ)さん(68)=大阪市城東区=が叫んだ。

 地震翌日の同18日から、夫の廣治さん(76)と少しずつがれきをはがしていた。隙間からのぞいた手をつかむと、握り返してきた。

 布団に横たわった状態のヒデ子さんが助け出されたのは、19日午前10時45分ごろ。腰に内出血があり、2日以上飲まず食わずだったが、意識ははっきりしていた。重吉さんは正午ごろ、遺体で見つかった。

 2人は、中井文化1階の1室で6畳間に並んで寝ていた。地震直後、壁に立て掛けてあったこたつ机が全身を覆うように倒れて助かったヒデ子さん。重吉さんは先に起き出し、トイレにいたところで揺れに襲われた。

 回復したヒデ子さんが、がれきの下での記憶を振り返った。「真っ青な空に、一面の花畑。見たこともないきれいな景色の中を、手をつないで一緒に歩いていた。喉が渇いたけど、水がない。重吉さんが『病院に連れて行ってもらい』と手を離し、消えてしまった」

 新崎さんの自宅に身を寄せたヒデ子さんは、重吉さんとの思い出をほとんど口にしなかった。買い物を楽しみ、銭湯に通って友人をつくり、少しずつ新しい生活に慣れていった。ただ、毎年1月17日には早起きし、神戸がある西に向かって手を合わせた。

 だが、5年ほど前からその習慣が途絶えるようになる。震災のことだけでなく、戦時中に結婚し、2人歩んできた日々の記憶まで、ヒデ子さんは失った。

■戦後の神戸、2人で歩む

 今年4月に96歳の生涯を終えた芝ヒデ子さんは、重吉(しげきち)さんと、終戦後の神戸で支え合って生きてきた。

 2人は鹿児島県隼人(はやと)町(現霧島市)の出身。太平洋戦争開戦直後の1942(昭和17)年1月に結婚した。

 職業軍人だった重吉さんは終戦後、名古屋や大阪、長崎などを転々とし、57(同32)年に神戸へ。バラックがひしめき合う葺合区(現中央区)南部の一角で暮らした。

 重吉さんは港で荷揚げ作業に従事。ヒデ子さんも公園の清掃業務に就き家計を支えた。食卓に肉が並ぶことはなく、麦ご飯と大根やニンジンを炊いたおかずが定番だった。

 そんな暮らしにも、ヒデ子さんは居心地がよさそうだった。重吉さんは、子どもの前でも「ヒデちゃん」と呼んで妻を慕った。

 その後、開発による立ち退きで引っ越した先の文化住宅で、2人は大震災に遭う。

■長女感嘆「やっと一緒に」

 地震後、末っ子の新崎良子(よしこ)さん(68)の自宅に移ったヒデ子さんは、2010年ごろから物忘れが目立つようになった。食事など日常の生活から記憶が薄れ、過去の出来事が消えていった。そして、半世紀以上寄り添った重吉さんのことも。重吉さんの写真を見せても「知らん」と言い、仏壇を自分のものと勘違いして「私に早く死ねということか」と怒った。

 今年4月、ヒデ子さんは肺炎で亡くなった。ひつぎには、手元に置いておいた重吉さんの手紙などゆかりの品を納めた。「父さんのこと、忘れたらあかんよ」と新崎さんは語り掛けた。

 そして元気だったヒデ子さんが、神戸市中央区の東遊園地を訪れた時のことを思い出した。重吉さんの銘板を見ながら「私もここに刻んでほしい」とつぶやいていた。

 新崎さんら家族の願いがかない、追悼の場所に夫婦の名前がそろう。19日、新崎さんは、真新しいヒデ子さんの銘板の前で、こう声を掛けるつもりだ。

 「やっと一緒になれたね。地震の時に離しちゃった父さんの手、ずっとつないでなきゃだめだよ」(小川 晶)

 【慰霊と復興のモニュメント】 全国からの募金で建設され、2000年1月に完成。市民らによる運営委員会が毎年12月、地下の「瞑想(めいそう)空間」に新たな銘板を追加し、現在は4971人の名前が刻まれている。今年は芝ヒデ子さんら17人の名前が加わる。

2015/12/18

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