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尼崎連続変死事件公判

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 尼崎連続変死事件で、仲島康司被告(45)の裁判員裁判第6回公判が10日、神戸地裁で開かれた。2008年11~12月、マンションベランダの物置で相次いで亡くなった安藤みつゑさん=死亡時(67)=と妻の仲島茉莉子さん=同(26)=の事件で、弁護側の被告人質問があった。

 弁護人と康司被告の主なやり取りは次の通り。

 -あなたと茉莉子さんは逃亡先から尼崎に連れ戻され、08年7月ごろから物置で虐待された。

 「最初のうちは『きついな』とか『もうちょっと頑張れば許してもらえる』とか、2人で励まし合っていました。監視カメラを意識して、顔が写らないよう下を向いて小声で話していた」

 -角田美代子元被告に対しては、どういう気持ちだった。

 「物置に閉じ込められた時は(逃げた)自分が悪いと自分を責めていましたね。美代子の方が正しいと思っていた」

 -美代子元被告にけしかけられて、茉莉子さんと殴り合うことも。一番激しく殴り合った時の原因は。

 「ペットボトルの水のことですね。その時は茉莉子が特に怒られていて、自分の分を取り上げられていたのに、僕の水を飲んだ。それを美代子がモニターで見ていて『何勝手に飲んどんじゃ』と怒鳴り込んで来た。茉莉子は『やっさん(康司被告)見てたんですけど、何も怒らなかったです』と。『見てたんか』『見てないです』『どっちが正しいんや。はっきりさせろ』ということで、殴り合いをさせられた。馬乗りにもなりながら、互いに手加減しなかった」

 -互いに逃亡期間中のことを告げ口することも。茉莉子さんが元被告に話したことで1番腹の立ったことは。

 「(2人をかくまった)東京の友人のことですね。僕が友人に『角田と暮らすより刑務所の方がよっぽどましだ』とか言ってたのを美代子に話した。美代子は相当怒っていました。『訂正させてやる。東京に行ってやる』と。茉莉子を憎みましたね。友人の家族の悪口まで言って許せなかった」

 -あなたは08年9月下旬ごろに、物置から出された。監禁されなくなって気を付けたことは。

 「美代子から目を付けられないようにしてました。不審な動きをせず、あらゆるところに目を配って、自分の感情を押し殺していましたね。美代子に言われたことは何でもやって生きていこうと」

 -リビングで生活するようになって、物置のモニターを見ることはあった。

 「茉莉子がまだ物置にいたので、見ないようにしていました。『何見てんのや。まだ気があるんか』とか美代子に言われたくなかったから」

 -08年11月に安藤さんが物置に入れられ、数日して亡くなった。あなたが角田家に来て、人が死んだのは初めての経験だった。

 「びっくりしました。それまでも美代子は怖いと思ってましたが、人が死ぬまでやるとは思っていなかった」

 -美代子元被告はあなたたちにどういうことを指示した。

 「『物置から出せ』と言って『シーツに入れろ』と。それから『倉庫に持っていけ』と言ってました」

 -元被告のことをどう思った。

 「怖かった。闇の世界の人だなと思いました」

 -安藤さんの死後も、元被告は茉莉子さんを物置に閉じ込め続けた。どう思ったか。

 「このまま茉莉子も死ぬんじゃないかなと思いましたね」

 -08年12月、茉莉子さんが亡くなった。

 「出先から帰ってきた後で、モニターで美代子に見せられました。『ちょっと来い。死んでるわ』と」

 -茉莉子さんが亡くなった時の気持ちは。

 「ほっとしたというのが正直な気持ち。茉莉子が絡んで(自分が)虐待されることが多かったので」

 -かわいそうだとかの気持ちはなかった。

 「その時はなかったですね。感情を表に出さないように気を付けていましたし」

 -今はどう思う。

 「何回も助けるチャンスはあったのに、助けてやれなかった。本当に後悔しています」

【特集】尼崎連続変死事件公判

2015/2/10
 

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