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尼崎連続変死事件公判

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 尼崎連続変死事件で、角田美代子元被告=自殺時(64)=の義理の娘瑠衣被告(30)の裁判員裁判第2回公判が15日、神戸地裁で開かれた。2007年12月に逃亡先の和歌山県から尼崎市に連れ戻された母、皆吉初代さん=死亡時(59)=に対する加害目的略取罪の審理があり、被告人質問があった。検察側との主なやりとりは次の通り。

 -07年11月末ごろに、初代さんの居場所が分かり、元被告はどう対応した?

 「その日のうちに『会いに行かなあかんな』と言っていました」

 -会って、どうすると思った?

 「何のために行くんか分からないと思っていたけど、会ったらもめ事になって、連れ帰ることになって、一緒に住むことになるのは嫌やな、と思ってました」

 -なぜ連れ帰ることになると思ったのか。

 「それまでに連れ戻された人と、母も同じパターンになると思っていました」

 -どうやって連れ戻すことになるのか。

 「美代子は、行くまでは『文句言うだけ』『用事こなすだけ』と言ってるんですけど、会ったら『無責任やな』『のんきな生活しとったらあかんやろ』などと言って、美代子の下におらなあかんな、という話にして、最後は相手から『お世話になります』と言わせるというようにしていました」

 -当時、連れ戻したら、初代さんはどうなると思っていた?

 「虐待されることや、(角田家が皆吉家に乗り込み、初代さんらを虐待した)03年の時の雰囲気になることは予想していました」

 -元被告と初代さんが仲良くすることは想定できなかったか。

 「戻ってきた当初は待遇がいいこともあるんですが、どうしても母が美代子を怒らすので、長続きはしないなと思いました」

 -それは、03年時の様子を見ていて思ったこと?

 「はい」

 -03年時の、初代さんに対する元被告の接し方を見て、感じたことは。

 「母が、抵抗するとか怒らそうとしているのでもなく、考えて動いてても美代子を怒らせてしまうという感じがしました。相性が合わないという風に見えてました」

 -例えば。

 「具体的には思い出せないんですが、言葉遣いとか、服装や動きが気取っているとか、何してもうまくいかないという感じのやりとりでした」

 -初代さんに会いに行くのが嫌だったというのは、どういう意味か。

 「私は美代子にお母さんになってもらおうと考えてついて行ってたので、母がそばにいて美代子を怒らすと、『あんたの親やで』『あんたにも同じ血が流れてる』と私も皆吉の人として扱われてしまうので、会いたくない、そばにいてほしくないと思っていました」

 -会いたくない気持ちをどう折り合いをつけて和歌山に行ったのか。

 「行くと決まったんだったら、行くしかないなと。2人のお母さんが現れても、自分は美代子について行くとアピールせな、皆吉家を切り捨ててるというのを分かってもらって、何かあれば美代子よりも先に自分が大暴れしてやろうという気持ちで行きました」

【特集】尼崎連続変死事件公判

2015/10/15
 

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