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尼崎連続変死事件公判

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 尼崎連続変死事件で、角田美代子元被告=自殺時(64)=の義妹、三枝子被告(62)ら3被告に対する裁判員裁判第2回公判が14日、神戸地裁で開かれ、総括的な被告人質問があった。三枝子被告と弁護人の主なやりとりは次の通り。

 -美代子元被告と知り合ったのは。

 「私が5歳ぐらいの時。美代子は5歳上でした」

 -きっかけは。

 「私の家族が美代子の母親の家で間借りしていたので」

 -出会った頃の印象は。

 「気の強い人だと思いました」

 -一緒に暮らすようになったのは。

 「私が20歳前だった。美代子に言われて仕方なく。納得はしていませんでした」

 -元被告の性格や口癖で覚えているものは。

 「『物事は白か黒。好きか嫌いか、イエスかノーか』。中途半端なことは嫌いでした」

 -元被告が好むタイプはどんな人。

 「頭がよく、てきぱきして美代子に対して正直で、懐く人」

 -嫌いなタイプは。

 「でしゃばりで好奇心旺盛。お高くとまっている人」

 -元被告が「もし自分が病気になったら」とか「自分が死んだら」という話をしていたことは。

 「『余命宣告を受けたら、三枝子や子どもに害のあるやつを皆殺していく』とか、(元被告の次男)優太郎(受刑者)が15歳ぐらいの時には『自分が死ぬ時には親の責任としてこの子も一緒に死なす』と」

 -家族について元被告の考え方。血縁や血のつながりについて何か言っていたことは。

 「『血が汚れている』とか『血がつながった家族でもこの程度』とか。血のつながりよりも、戸籍のつながりを重要視していたように思います」

 -(三枝子被告の産んだ)優太郎受刑者が元被告の子として届けられたのはなぜ。

 「昔から『子どもができたらちょうだい』と言われていて、断り切れなかった」

 -「自分で産んでください」という話はできなかったのか。

 「美代子は『うちは学校の成績も悪いし、顔も不細工やから自分の子はほしくない。三枝子の子がほしい』と」

 -実際に(元被告の名前で)出生届を出したことをどう思っていた。

 「内心はすごい嫌でした。その時初めて美代子に対して殺意を感じた。殺そうと思いました」

 -あなたはお母さんとして振る舞えなかった。

 「それはできません。おばさんということに徹底しないと」

 -元被告に対する思いを聞きたい。生活は楽しかったか。

 「美代子さえおらんようになってくれたら、という気持ちがありました。でもそれはなかなかできへんことで…。あそこでしか生活できないし。機嫌のよい時は楽しいとも思いましたが、どっちかと言えば嫌だった」

 -先ほど「殺そう」と思ったと。その時の気持ちはずっと続いていた。

 「毎晩『明日の朝、美代子が死んで目を覚ましませんように』と願っていました。いろいろな事件が起きてからは余計に」

 -逃げ出そうと思ったことは。

 「結婚して外に出してもらおうと思ったが、許されなかった。普段、美代子は私のことを一番大事と言っているので逃げた時の反動が怖くて。親やきょうだいに危害を加えられると思ってできませんでした」

 -離れたくても離れられなかった。

 「はい。だから殺すしかないと思いました」

2015/5/14
 

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