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東日本大震災の避難所となった体育館で、支援者らと打ち合わせをする黒田裕子さん(中央)=2011年8月31日、宮城県気仙沼市、面瀬中学校
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東日本大震災の避難所となった体育館で、支援者らと打ち合わせをする黒田裕子さん(中央)=2011年8月31日、宮城県気仙沼市、面瀬中学校

 「一人一人の命を大切に」。そんな当たり前のことが災害時にはどれだけ難しいか、黒田裕子さんは誰よりも知っていた。阪神・淡路大震災で関連死や孤独死が相次いだ。だからこそ、全身全霊で被災者に向き合った。

 神戸市西区の西神第7仮設住宅(1060戸)に連日のように泊まり込んだ。夜中でも携帯電話で被災者の相談に乗り、SOSがあると駆け付けた。「神様みたいな人」と手を合わせる被災者もいた。

 1999年、トルコの大地震被災地。息子を亡くして避難テントの中に閉じこもった女性を、広場で紅茶を飲んでいた人らの仲間に入るよう誘い出した。2004年、新潟県中越地震の被災地では、聴覚障害のある夫婦宅を訪ね「つらかったんですね」と手話で伝えると、妻がわっと泣きだした。

 睡眠時間を削り、食事をする時間も惜しんだ。「なぜ」と尋ねると、「待っててくれる人がいるから」。明るくて人懐こく、「あはは」とよく笑った。

 9月中旬、病室で会った黒田さんは痩せ細っていたが、東日本大震災の被災地について「がれきの撤去だけが復興じゃない。人々の暮らしにもっと目を向けないと」と声を振り絞った。最期まで弱い立場の人たちを思いやっていた。(網 麻子、石崎勝伸)

2014/9/25

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