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銘板に刻まれた母の名前を見つめる三村英子さん(左)、来夢さん(中央)、広二さん=17日午前5時13分、東遊園地(撮影・小林良多)
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銘板に刻まれた母の名前を見つめる三村英子さん(左)、来夢さん(中央)、広二さん=17日午前5時13分、東遊園地(撮影・小林良多)

 17日朝、神戸・三宮の東遊園地は、身動きが取れないほどの人が集まり、悲しみや祈りが満ちた。阪神・淡路大震災から20年。あの日、生き残った自分を責め続けた女性はやっと気持ちの整理をつけ、「頑張ってるよ」と亡き母にささやいた。

 「ありがとう」。命を守ってくれたことへの感謝の思いを、20年かかってやっと伝えられた気がした。

 初めて訪れた神戸・三宮の東遊園地の慰霊と復興のモニュメント。川崎市の団体職員三村英子さん(46)は17日朝、神戸市兵庫区で亡くした母松村純子さん=当時(53)=の名が刻まれた銘板の前で、夫広二さん(46)、長女で小学5年の来夢(らむ)さん(11)と手を合わせた。

 この20年、震災前夜の後悔が頭から離れなかった。

 「せっかく作ったんだから食べてよ」「食べたくないもん」。仕事で疲れた英子さんは、巻きずしを食べずに2階の自室に戻った。純子さんは筋肉が萎縮する病気で車いす生活。わずかに動く腕で作った得意料理だった。

 高い所から落ちた感覚で英子さんは目が覚めた。揺れが収まると、純子さんが寝ていた1階はなかった。2時間後に引っ張り出された時はまだ温かかった。がれきの隙間に巻きずしが見えた。

 「お母さんが全身全霊で(2階の自分を)支えてくれたから、私は助かった」。最後の手料理を食べなかった後悔に襲われた。

 3年後、結婚を機に川崎市に移ったが、「どうして私だけ生きているのか」と自らを責めた。自律神経失調症と診断され、仕事も8カ月間休職。その後、来夢さんが生まれた。

 転機は東日本大震災。そのすさまじい被害に「わが子や今を生きる人が悲しまないよう、自分の経験を語ろう」と決めた。

 「お母さんのお母さんも震災で亡くなったんだよ」。初めて来夢さんに伝え、ボランティアとして一緒に被災地でゴスペルを歌った。川崎市男女共同参画センターでも避難経験を伝え、女性目線で災害時に役立つ冊子作りや講座の企画に携わる。自責の念は消えないが「防災・減災活動がライフワーク。母への一番の供養になる」。

 「大切な人を突然、亡くしてしまうこともある。だから、今を大事に生きてほしい」。来夢さんにそう感じてもらおうと訪れた東遊園地で、純子さんに報告した。

 「頑張っているので、心配ないからね」(高田康夫)

2015/1/17

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