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 阪神・淡路大震災で避難所となった神戸市内の中学校に勤務し、26歳で過労死した女性教諭がいる。その一人息子、池田祥平さん(23)=兵庫県芦屋市=は祖父母と伯母に育てられ、医学部4年生になった。震災から20年がたち、母の年齢にも近づいてきた。「母の記憶はおぼろげ。でも、強く生きていくことが自分なりの親孝行だと思う」。家族への感謝を胸に、医師や研究者を目指して多忙な日々を送る。(小林由佳)

 祥平さんの母裕子さんは震災の年の春、新任の美術担当として神戸市東灘区の本庄中学校に着任した。同校では生徒の約7割が被災し、「情緒教育が必要」と美術教員を増やした。それが裕子さんだった。

 裕子さんは大学卒業後すぐに結婚。離婚を経験し、震災前に幼い祥平さんを連れて芦屋の実家に戻った。自立のために目指した教職。念願はかなったが、仮設校舎での授業や避難所の日直などで体調を崩した。急性心不全で亡くなったのは教壇に立ってわずか3カ月半後。1999年に公務災害が認定された。

 裕子さんの死亡当時、祥平さんは3歳。時々、「ママが『祥ちゃん』って呼んでる」と言った。小学2年から母が愛用していたピアノで本格的に練習を始め、6年のときに兵庫県学生ピアノコンクールで最優秀賞を受賞した。震災遺児を招いたポーランド政府のツアーに参加し、現地で演奏したこともある。

 ただ自身は震災遺児と呼ばれることに違和感があった。「震災の記憶がなく、ぴんとこなかった。でも今は遺児だからいろんな経験ができたと思える」。ピアノを究めるか悩んだ末に、大阪市立大医学部に進学した。

 母親代わりの祖母、康子さん(70)は「難しい時期もあったけど、懸命に育ててきた。これからは自分で道を切り開いてほしい」と話す。

 裕子さんの遺骨は今も家に置いてある。「医師免許を取ったら、まずは母のお骨に報告する」と祥平さん。研究者にも憧れており、「人工多能性幹細胞(iPS細胞)のように世界に先駆けて新分野を開拓したい」と夢を膨らませる。

2015/1/25

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