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 「THE 17TH(セブンティーンス)」。阪神・淡路大震災の2年後に生まれ、今も続く通信がある。発行者は神戸大大学院1年生だった23歳の長男純を亡くした工藤延子(67)=愛媛県四国中央市。神戸大生の子どもを亡くした親たちの手紙を集め、毎月「17日(17TH)」をめどに発行してきた。ページを繰る。どれほど時間が過ぎても、癒えることのない母親の慟哭(どうこく)が聞こえてくる。(木村信行)

 18年間で167号になる。B5判5~6ページ。すべてを積み重ねると7センチにもなる。震災で亡くなった神戸大生は39人。通信は、遺族ら約20人に郵送している。

 きっかけは、がれきの下から見つかったワープロだ。

 法学研究科で政治学を学び、研究者を志していた純が「今の一番の宝物」と大切にしていた。

 あの日、神戸市東灘区の木造アパートは全壊。自衛隊員に「一つだけなら遺品を取り出せますが」と尋ねられた。震災直前の年末、愛媛に帰省していた時に、新品のワープロで家族の年賀状を刷る純の得意げな顔が浮かんだ。

 純が使ったのは100日間。「母さん、僕の代わりに使ってよ」。息子の声が聞こえた気がした。

    ◇

 第1号(1997年1月)はこうして始まる。

 《あの日から本当に多くの素晴らしい出会いがありました。辛(つら)く悲しい日々の中で、それだけが唯一の救いでした。子どもたちからの贈り物のような気がします。私だけがこれを独占していいものか、ずっと考えていました。そこで提案があります。みなさんのお手紙を、壁新聞や学級通信のような形でまとめられたらと思うのです》

 震災後、延子は神戸大六甲台キャンパスにできた慰霊碑の前で出会った数人の遺族と文通を始めていた。電話をすれば何時間でも話し込む。

 泣いて、笑って、また泣いて。この輪をもっと広げられないか。

 すぐに何人かの親から賛同の声が届く。通信は母や父の手紙で埋まるようになった。

 震災から1000日目が近づく97年6月の第4号。延子は思い切って呼び掛けた。

 《提案します!一度、神戸に集まりませんか》

 震災500日は多くのメディアが取り上げてくれた。だが、1000日を数えてくれている人はいるだろうか。神大生の遺族は関東から九州まで全国にいる。関西以外では震災のニュースは激減していた。

 経済学部3年だった21歳の長男健介を亡くし、泣き暮らしていた白木朋子(故人)は新聞記事で延子の呼び掛けを知り、手紙を寄せた。

 《まあ、こんなことが私の知らないところで行われていたんだヮ。是非(ぜひ)是非、お仲間に入れてください。神戸大には一度行って、あまりの悲しさに足が向かなくなっていました。でも、皆さんと一緒なら、きっと、大丈夫》

 97年10月12日。六甲台に心地よい風が吹き抜ける朝、8家族12人の遺族が慰霊碑に集まった。初めての顔もあった。

 延子にとって、亡くなった学生は特別な絆で結ばれたクラスメートのように思えた。授業参観に来た親のように、気分は華やいだ。

 なぜ神戸大を選んだのか。どんなサークルに属していたか。アルバイト先は、将来の夢は…。泣いて、笑って、また泣いて。息子、娘自慢は尽きなかった。

    ◇

 《もうどんなに楽しいことがあっても心からは喜べない私たち》《流した涙を集めたら小さな池ができそうです》

 母親たちが交わす言葉の底には、悲しみの塊が沈んでいる。

 それでも延子はキーをたたく。パチ、パチ、パチ。ワープロと向き合い、一字一字を打ち込む時間は、純と対話できる濃密で大切な時間だった。=敬称略=

2015/1/15

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