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 阪神・淡路大震災の直前、神戸大大学院生だった長男純=当時(23)=が「一番の宝物」と言っていた遺品のワープロ。

 震災2年後、母の工藤延子(67)=愛媛県四国中央市=が神戸大の遺族に呼び掛けて始めた通信「THE 17TH(セブンティーンス)」は、そのワープロで紡ぎ出されてきた。

 通信に手紙を寄せる母親たちの一番の喜びは、毎年1月17日、神戸大六甲台キャンパスにある慰霊碑に集まり、息子自慢、娘自慢をすることだった。

 だが、原因不明の心身の不調に悩まされるようになった延子は、震災12年目の2006年以降、神戸に来られなくなる。

 新年のカレンダーが届くと、まず余白にあの日から何日目かを記し、午前5時46分には毎日、自然と目が覚めた。だが、09年の1月17日は起き上がることすらできなくなる。

 《あれから5115日のその時刻を初めて布団の中で迎えました。情けなくて、ただただ涙があふれました》(第144号)

 外出には車いすが必要になり、毎月17日(17TH)の発行を目指した通信も、最近は年2回しか出せていない。

     ◆     ◆

 最新号となる今年1月の第168号。延子は自分を鼓舞するように、こう書いた。

 《20年目の今年、どうしても区切りをつけなければと考えていたことが2つあります》

 一つは、動かなくなってしまったワープロだ。

 深夜、キーをたたくと「がんばれ、母さん」と純が励まし、手を添えてくれるような気がした。何度も修理したが、ついに電源も入らなくなった。

 覚悟を決めた。

 1月、震災資料の収集を続ける「人と防災未来センター」(神戸市中央区)に寄贈した。自分はいずれいなくなる。その後も、純のことを伝えてほしい。

 発送前の3日間、きれいに梱包(こんぽう)したワープロを抱いて眠った。

 そして、もう一つ。

 《どうしても、あの時刻を神戸で迎えたい。そして皆さんにお目にかかりたいのです》

     ◆     ◆

 16日、神戸大の慰霊碑前に4人の母親の姿があった。竸(きそい)恵美子(67)=名古屋市、戸梶栄子(65)=大阪府和泉市、藤原美佐子(70)=津市、加藤りつこ(66)=広島市。大学入試の影響で、例年より1日早く追悼式が営まれた。

 みんな最愛の長男を亡くした。失意の底にいるとき17THと出会い、励まし合った仲間だ。

 手を取り合って再会を喜ぶと、いつもの話が始まった。

 「ずっと小遣い帳を付けててね。几帳面(きちょうめん)だったわ」「あ、うちの子も」「優しくて、ハンサムで」…。

 「こんなこと、私たちだけでないと言えないね」

 泣いて、笑って。20年間、変わらぬ光景だった。そこに延子の姿はなかった。15日に何とか神戸に来たものの、体調を気遣い、ホテルで静養していた。

     ◆     ◆

 母親たちは17日に再び、延子を交えてこの場に集まろうと決めている。神戸のまちを見下ろす高台で、純や道夫や信宏の自慢話をしようと。誰にも遠慮せず、心ゆくまで。

 1月17日だから。

=敬称略=

(木村信行)

2015/1/17

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