連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

記事特集

  • 印刷
宝塚市内(撮影・笠原次郎)
拡大
宝塚市内(撮影・笠原次郎)
保育ボランティアで子どもたちと遊ぶ汐美真帆さん(汐美さん提供)
拡大
保育ボランティアで子どもたちと遊ぶ汐美真帆さん(汐美さん提供)

 宝塚歌劇団に入団し5年目。東京での公演を3日後に控えた1月17日、宝塚市内の自宅で大きな揺れに襲われた。周辺の全半壊率は約3割。建築家の父が残した家も半壊した。

 「2階の部屋のベッドから、別の部屋にいる母と呼び合い、無事を確かめた。外は真っ暗で、余震が怖くて。住むには住めたので、被災した(歌劇団の)上級生が来られて、キッチンで雑魚寝した。育ったまちがこんな状態のままで、公演に行けないと思った」

 新築からわずか2年の宝塚大劇場も被災し公演は中止。自宅待機となった。仲間たちは被災地を離れ、がらんとしたすみれ寮に一時身を寄せた。母親を避難させ、家を片付けていると、テレビの呼び掛けに目が留まった。

 「東京に来たらと誘ってもらったけど、ここが私の場所だから。宝塚市の復興が宝塚歌劇の復興にきっとつながる、何か私にできることは、と思ったときに、市役所でボランティアの募集してて。車で駆け付けると、すぐにボランティアの送迎役を頼まれた。金髪に男っぽい格好で、タカラジェンヌとばれてたかもしれないけれど、がたがたの道を運転して。いろんな人とつながることができ、元気をもらえた」

 市役所には1月21日からボランティア本部が設置された。避難所となった学校も再開。保育ボランティアに参加し、小学校を回って子どもたちと遊んだ。

 「元気に走り回っていても、家族を亡くした子もいるだろうし、友だちも避難していない。『今度はいつ来てくれる?』と聞かれ、自分が求められている、人の役に立っていると初めて実感した」

 宝塚歌劇は2月2日の名古屋を皮切りに、公演を再開。汐美さんは3月3日開幕の雪組東京公演で舞台に復帰した。ボランティアは稽古が始まる前日まで続けた。

 「本名の自分から芸名の自分に切り替えて、歌劇のために発進しなくては、と踏ん切りをつけて。でも、東京は普通で、お客さんもいっぱいで。そのギャップに、ちょっと驚いた」

 被災地の内と外との落差。5月12日に幕を開けた、震災後初めての雪組大劇場公演で、舞台から見た光景に、その思いは増した。

 「本当に『夕日』で…。お客さんが座っていないと赤いシートが見えるから、『夕日』。ショックだった。ベルばらブーム以降、お客さんがいないことはなかったから。ひとときでも震災のことを忘れて、楽しんでもらいたいけど、抵抗を感じる人がいるのも当然で。今が頑張りどき、と思っても、やっぱり寂しかった」

 宝塚を退団し、宝塚市を離れて活動するようになっても、震災の経験を忘れたわけではなかった。2011年の東日本大震災。汐美さんは義援金を届けに宮城県を訪れ、交流を始めた。昨秋は募金を集め、石巻市の中学生11人を宝塚市であった催し「1万人のラインダンス」に招いた。

 「震災で形のあるものを失ったわけじゃないけど、心に傷は残ってて。それを埋めたくて、ボランティアをしてるのかもしれない。だから、本当は、喜ぶ顔を見たいという自分のため。実現したのは、支えてくれる人のおかげ。そうでないと、一人で募金箱を持って立つことはできなかった」

 禅語の「日々是好日」に心を引かれる。大切なものを失った日も、一日一日をありのままに生きる。当たり前の日をありがたく思う。

 「忘れられない、忘れてはいけない記憶でも薄れていってしまう。でも、何かがあったときには、きっと誰かのために動くことに、気づくはず。その積み重ねが復興になるんだと思う」

(聞き手・田中真治)

 しおみ・まほ 1973年生まれ。小林聖心女子学院中学を卒業後、宝塚音楽学校入学。91年に宝塚歌劇団で初舞台を踏み、雪組配属。新人公演でメーンキャストを演じ、月組、星組で男役スターとして活躍した。2004年に退団、米国留学を経て、現在は東京と関西でヨガなどを指導する。

2015/1/5

天気(7月5日)

  • 28℃
  • ---℃
  • 30%

  • 28℃
  • ---℃
  • 30%

  • 30℃
  • ---℃
  • 20%

  • 29℃
  • ---℃
  • 30%

お知らせ