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兒嶋正晴さんと景子さんは、達彦さんから贈られたライターなどを今も大切にしまっている=京都府亀岡市本梅町
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兒嶋正晴さんと景子さんは、達彦さんから贈られたライターなどを今も大切にしまっている=京都府亀岡市本梅町

 京都府亀岡市本梅町の山里にある古民家。毎年1月17日前後の日曜日、阪神・淡路大震災で亡くなった関西学院大3年兒嶋(こじま)達彦さん=当時(20)=の実家の座敷に、学友たちが集う。

 「私たちの知らない息子の姿が会話に垣間見える」。20年続く訪問を、達彦さんの父正晴さん(67)と母景子さん(63)は今年も心待ちにしている。

 達彦さんは、実家から約11キロ離れた公立高校の進学コースに自転車で3年間通い、1992年、関学大に合格。関学のエンブレム(紋章)入りのライターや灰皿を土産に買って帰るなど、念願かない誇らしげだった。

 友と青春を謳歌(おうか)した下宿「赤穂荘」(西宮市上ケ原五番町)は震災でつぶれ、1階の達彦さんが命を落とした。

 葬儀には高校や大学の友人らが大勢訪れ、所属した登山サークルのメンバーは、遭難時の救助費用の積立金を「彼の命を助けられなかったから」と香典に差し出した。

 「本当にありがたかった」と正晴さん。それでも、同じ年頃の学生を見ると「何でうちの子だけが」とやりきれず、唇をかんだ。

 その後の法要などに頻繁に姿を見せたのが、高校の同級生益田隆行さん(41)=亀岡市=と、大学の友人で同じ下宿にいた太矢(たや)市郎さん(41)=名古屋市=だった。

 太矢さんは達彦さんと同じ時期に下宿に入り、互いの部屋を行き来するようになった。1年の夏休みに「実家へ帰るんやけど、一緒に行く?」と誘われ、亀岡へ。そこで紹介されたのが益田さんだった。以来、琵琶湖に出掛けてバーベキューをしたり、マージャンにふけったり。帰省のたびに一緒に遊んだ。

 震災1年後の1月上旬、達彦さんの実家に大学と高校の友人ら8人ほどが集まった。「高校の授業では大概寝てたな」「大学でも一緒や」。達彦さんが家ではほとんど口にしなかった高校、大学での日々が会話に浮かぶ。

 「何やら寝てばっかり」と苦笑いする正晴さんだが、空白だった記憶が埋められていくようだった。

 訪れる側にも葛藤があった。益田さんは友の死が納得できず、当初「あいつがおらんのに何の意味が」と思いながら弔問していた。だが、自分たちの会話を興味深く聞く兒嶋さん夫妻に「何かを伝えられているのかも」と意味を見いだした。

 今年も座卓を囲み、「たわいもない話題」で盛り上がる。兒嶋さん夫妻はあえて会話に割り込まず、にこやかに見守るだけだ。

 息子がつなげた友の絆が、これからも続くことを願いながら。(増井哲夫)

2015/1/10

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