連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

記事特集

  • 印刷
拡大

 昨年12月23日、中央区のホテルで開かれた社交ダンス教室のクリスマスパーティー。華やかな会場で一人、馬場芳朗(よしろう)さん(78)=中央区港島中町3=だけが真剣な表情で、一眼レフカメラを構えていた。

 ファインダーの向こうに、着飾った男女が踊る。シャッタースピードと露光を合わせ、きらびやかな一瞬を切り取っていく。テーブルには、馬場さんのために用意された食事もあったが、手をつける時間はなかった。

 「それじゃまた、写真送りますね」。帰り際、ようやく笑みがこぼれた。

 馬場さんはカメラマンとして、月に5、6回、ダンスやライブの会場に足を運ぶ。趣味で撮った写真をプレゼントするうち、いつしか仕事として頼まれるようになった。

 カメラを持つと、震災で亡くした一人息子を思い出す。

 20年前、馬場さん家族は灘区鹿ノ下通2の古い木造家屋に住んでいた。あの日、関西大学工学部2年だった長男一嘉(かずよし)さん=当時(21)=は母屋の2階で、前日の晩から試験勉強に打ち込んでいた。

 午前4時ごろ。トイレに立った馬場さんが声をかけた。「今日から試験やろ。そろそろ寝なあかんよ」。一嘉さんは、寝室のあった1階に下りる。それが最後になった。

 離れで寝ていた馬場さんと妻の教子(のりこ)さん(72)は助かったが、地震から3日後、崩れた1階部分から、冷たくなった一嘉さんが見つかった。あのとき声をかけなければ-。悔いて悔いて、悔いた。気がおかしくなりそうだった。

 それから、どう毎日を過ごしたのか。「あいつが寂しがっとる」。夫婦で死に場所を探した。倒れかけた家に潜り込み、下敷きになろうと余震を待ったこともあった。「今考えたら、おかしな話やけど」。

 1カ月ほどたったころ。

 馬場さんは突然思い出す。カメラや。がれきの中で見つかった愛用のニコンF-801s。離れた場所に置いていたはずなのに、なぜか息子の体のすぐ近くに落ちていた。シャッターを押した時の、確かな感触が指によみがえってくる。生きて、という息子の声が聞こえた気がした。

 カメラは父から教わった。「上手だね」。小学生の時、その父にほめられ、馬場さんは有頂天になった。大人になって、銀行員になってからも、どんどんのめり込んだ。

 同じように、一嘉さんにもカメラを教えた。「手ぶれしないように、腕は体にくっつけて」「こう?」。なかなか様になってるやないか。一嘉さんは馬場さんのカメラを持ち出すようになった。「腕がいいな」。息子をほめた。

 冗談で周りを笑わせる、明るい「かぁくん」。高校ではバレーボールに打ち込み、水泳も得意。「CHAGE & ASKA」が好きだった。

 地震直前の正月。家族3人で写真を撮った。成長を記録するために始めた毎年の恒例行事。あの時の写真を見るたび、今も馬場さんは胸が締め付けられる。息子の顔は寂しそうだった。

 ポートアイランドのマンションに移り住み、仕事を定年でやめ、馬場さんは妻と旅行を楽しむようになった。周りから気遣われるのに疲れ、気分転換で始めた。

 国内だけでなく、北米、ネパール、タイ…。二人、カメラを持って地球をかけた。「かぁくんおったら、こう言うやろな」「この色、かぁくん好きやったなあ」。旅先では、一嘉さんの話題が自然と出る。笑う。

 そして、2015年の元旦。夫婦は自宅でお互いの写真を撮り合った。震災後も続ける家族の行事。「かぁくんだけ、若いままやね」。カメラの前、交互にかしこまった。

 去年より、昨日より、少しでもいい顔で。

 かぁくん、見てますか。

 「ハイ、チーズ」-。

 20年を生きた。

(藤村有希子)

=おわり=

自宅があった場所は、駐車場になった。息子のそばで見つかった古いカメラを手にする馬場芳朗さん=灘区鹿ノ下通2(撮影・小林良多)

2015/1/10

天気(6月5日)

  • 28℃
  • ---℃
  • 30%

  • 32℃
  • ---℃
  • 30%

  • 31℃
  • ---℃
  • 20%

  • 33℃
  • ---℃
  • 30%

お知らせ