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 阪神・淡路大震災後に入庁した職員が半数近くになった神戸市は昨秋、新人職員が震災当時を知る先輩に体験を尋ね、その内容をまとめる「震災聞き書き研修」を始めた。先輩の語りを書き起こすことで、市職員としての経験や悩みを「追体験」してほしいとの思いからだ。一方、新人が記した文章は、経験者一人一人の記録としての重みもある。

 神戸市職員人材開発センター(現職員研修所)が、昨年4月入庁の315人を対象に実施。同年11~12月、各職場で震災時に入庁していた先輩に一対一で話を聞き、激震直後の行動や教訓などを語り口調でまとめた。

 同市では、震災を体験した職員の講演を聞いて感想文を書く新人研修を続けている。だが、震災当時に乳幼児だった世代が新人の大半を占めるようになり、「体験が人ごとになるのでは」との懸念から、自分に置き換えて考えられる方法として聞き書きを加えた。

 高砂市で生まれ育った広聴課の松下太郎さん(23)は、震災の話を初めてマンツーマンで聞いた。災害弔慰金の給付業務などに当たった先輩の経験を、表情や雰囲気をにじませながら文章にまとめた。「ただ聞くのではなく、考えて聞くことができた。今の立場で災害が起こったらどうするか、考えるきっかけになった」と話す。

 一方、語る側は大半が当時20~30歳代。若手、中堅として未曽有の大災害に向き合った率直な思いが、新人が書いた文章から浮かび上がる。中でも震災直後は、公務員と被災者という二つの立場に置かれた葛藤がにじむ。

 「妻は妊娠3カ月。出動は、徴兵令が出て戦争に行く兵隊のように感じた」「戸惑うばかりで出動という考えは浮かんでこなかった」。家族を守ることを優先した男性は「建前だけでは動けなかった」と打ち明けている。

 「新人への継承だけでなく、職員一人一人の経験の記録という点でも意義は大きい」と同研修所の担当者。今年9月、同意が得られた122人分の記録を当時の所属別に職員専用サイトに掲載し、共有を進めている。

 今月からは、この春入庁の新人に対しても聞き書きを始める予定という。

(小川 晶、田中陽一)

     ◇     ◇

【聞き書きの記録】  

<初出動の心境徴兵のよう 当時30代、中央区役所勤務の男性>

 1月17日の午前1時すぎ、前夜から子どもの調子が悪く、車で病院に行ったが、小児科の救急医がおらず、出直すつもりで帰った。子どもを寝かしつけて自分も寝たが、すぐに目が覚め、風呂に入った。そのとき、激しい揺れに襲われた。動転する妻と子どもを落ち着かせ、外に出た。

 発生数日目だったが、隣の人に家族のことをお願いし、当時の勤務地、中央区役所に出動することにした。そのときの心境は、まるで徴兵令が出され、戦争に行く兵隊のように感じた。妻は実家周辺の被害が大きく、精神的に厳しい状態。それに、妊娠3カ月だった。私自身、一度出動すると次はいつ帰れるか分からなかった。

 一番きつかった仕事は家屋の損害状況の再調査。処理件数より依頼が多く、前に進んでもゴールが遠ざかる。資産価値が下がるから判定し直すよう要望されるなど、さまざまな利害関係の中で対応していた。応えたいが行政の立場上、応えられない。そんな板挟みと緊急事態の中で、いろいろな葛藤があった。

<赤ん坊抱いた遺体に衝撃 当時20代、灘区役所勤務の男性>

 発生直後は近所でも倒れている家はなく、「(勤務する)灘区役所も散らかってるだろうな」ぐらいの気持ちだった。今では考えられないが、そのときは防災指令のことすら知らなかった。

 車で区役所へ向かい、午後からはご遺体を安置所に運んだ。心の準備とかできていなかったから1人目のときはすごく動揺したが、これも公務員しかできない仕事だと思った。

 印象に残っていることがある。火事現場から女性のご遺体を運んだが、安置所で毛布を整えたら、腕の中に赤ん坊を抱いていた。ショックだった。当時、私は独身だったし、なんとかパワーで乗り切ったが、結婚をして子どももいる状況だったら、どうだったか。

 避難所では、あるおばあさんから「家もお金もない。独りだからどうしていいか分からない」と相談された。一緒に家まで行ったけど本当に何もなくて、あるとき「もう死にたい」と言った。あの地震から助かったのに、死にたいと思うのをどうしてあげることもできない。無力さを感じた。

2014/11/1

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