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西宮市内(撮影・笠原次郎)
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西宮市内(撮影・笠原次郎)
震災で倒壊した家屋から救出されたレコード
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震災で倒壊した家屋から救出されたレコード

 幼いころから暮らす西宮・仁川。この地で「ダンスリー・ルネサンス合奏団」を結成し、日本でいち早く、西洋古楽の魅力を伝えてきた。円熟期を迎え、国内外での演奏や大学での講義、個人レッスンと充実した日々を送る中、震災が襲った。

 「その日は、酔って遅く帰ったもんだから、普段の母屋じゃなく、仕事場のある離れで寝ていた。突然、グワーッとものすごい音がして。月明かりを頼りに窓を開けると、目の前の母屋がぺっしゃんこに。これは一家全滅だと、ぞっとした」

 大正時代に開発された風情のある住宅地。川沿いに建つ瓦屋根の古い屋敷の2階には、フランス出身の妻と大学受験を控えた息子がいた。がれきから脱出した息子と、妻を救い出すことはできたが、1階に寝ていた86歳の父・亮一さんは助からなかった。

 「おやじは、関東大震災の前日まで東京にいてて。『1日違ったらえらいことやった』と話していた。古い家だから地震を心配して尋ねても、『関西に地震は絶対ない』。夜更かしで、午前5時ごろに風呂に入ってから寝る習慣だった。風呂場が無事だっただけに、どうしていつも通りにしてなかったのか、悔しい思いはある」

 おしゃべり好きで、趣味人だった。岡本さんが音楽に目覚めたのも、父のSPレコードがきっかけ。100枚余りのコレクションは隣の茶の間の戸棚にあり、1枚も割れることなく残った。

 「勤め先の放送局を辞めるときは、家族中が大反対したが、おやじはどこか、『好きなことならしゃあない』という節もあって、演奏会には積極的に来てた。もう10年は大丈夫じゃないか。そう思うくらい元気だったのに」

 近所の人とも昔からの顔なじみ。がれきの撤去を大勢が手伝ってくれたが、遺体を安置できたのは翌日、自衛隊が来てからだった。

 「消防も手をこまねいている中、近所からみんな、シャベルを持って集まってくれたのが、本当にありがたくて。音楽を通じた友人たちも重機を運んできてくれた。届いた野菜や物資は近所にも配った。人と人とのつながりが大事だとものすごく感じた」

 離れには、苦労して買い集めたリュートやビオラ・ダ・ガンバ、リコーダーなどの古楽器を置いていた。

 「奇跡的にどれも無傷。代わりのない楽器ばかりだから、これで(演奏会を)キャンセルしなくていい、とうれしかった。音楽仲間が『楽器はあるか』と心配してくれたことも忘れられない」

 激震地の神戸・長田で家を失い、消息不明だったメンバーとも、翌月の演奏会で再会できた。1年後に再建した家は、みんなで練習できるように設計し、形見のレコードを保管する場所も作った。

 「静かで、自然が豊かで音楽をするにはいい環境。東京行きの誘いもあったけど、離れる気はなかった。でも、震災後に駅前の市場やなじみの店はなくなり、味のある家並みも消えて、周りは変わってしまった」

 あれから20年。脳梗塞で倒れる危機を乗り越え、3年前、40周年コンサートを開いた。メンバーには、東日本大震災の被災地支援に取り組む者もいる。心に浮かぶ言葉は「人」。

 「地震があって、人間はいいもんやと、人間が好きになった。人に助けられ、いろんな人の世話になり、何とか立ち直ることができた。時が過ぎるのは早いと感じるが、あれほど強烈な体験はない。1月17日にはおやじの写真の前で、手を合わせて感謝したい」

(聞き手・田中真治、太中麻美)

 おかもと・いちろう 1935年生まれ。関西学院中3年でクラシックギターを始め、関学大在学中に全日本コンクール2位。ギリシャ国立音楽院留学後、72年にダンスリー結成。アルバムに坂本龍一との共作「エンド・オブ・エイシア」など。関学大マンドリンクラブ技術顧問。

2015/1/4

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