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「福幸地蔵」。正月を前に、浜岡克代さんはほこらを拭き上げ、餅とミカンを供えた=市営岩岡住宅(撮影・小林良多)
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「福幸地蔵」。正月を前に、浜岡克代さんはほこらを拭き上げ、餅とミカンを供えた=市営岩岡住宅(撮影・小林良多)

 西区大沢にある市営岩岡住宅。日が暮れると、子どもたちの姿が消え、夕げの香りがどこからともなく漂う。

 「そろそろやね」。2階に住む浜岡克代さん(64)は毎日、夕飯の支度を終えた頃、台所の蛇口からペットボトルに水を入れ、部屋を出る。

 7棟ある住宅団地の一角。暗闇にぼんやりと明かりが浮かび、お地蔵さんがぽつねんと立っていた。浜岡さんは小さな二つの杯に水を注ぐ。小菊の花が飾られた花瓶の水を換え、手を合わせた。

 「明日も子どもたちを守ってくださいね」

 地蔵は16年間、ここで住民を見守ってきた。はじめの頃はにぎやかで、多くの人が手を合わせに来たという。

 あれから、ずいぶん寂しくなった。

 浜岡さんと夫の健吾さん(61)が暮らしていた長田区若松町の長屋は、阪神・淡路大震災で焼けた。地震の前日、たまたま泊まりに来ていた娘夫婦、4カ月の孫娘と倒壊した建物から何とか抜け出し、難を逃れた。「助けて」と叫ぶだれかの声が、今も耳の奥にはりついている。

 一時しのぎのつもりで、西区の仮設住宅に入った。ところが、長田の復興住宅には何度申し込んでも外れた。「このまま西区に住まれたら」。親しかった市の職員に言われ、戻るのはあきらめた。

 娘夫婦や母とともに移り住んだ岩岡住宅は、被災者向けの復興住宅。集まった約230世帯は、お互い知らない顔ばかり。ボランティア団体の呼び掛けで、自治会を作り、集会所でお茶会を開いた。

 「地蔵を置きませんか」。切り出したのは、初代自治会長だった吹田勉さん。「震災前に住んでいた兵庫区には地蔵があって、お祭りをしてましたんや」

 浜岡さんは喜んだ。長田で焼けた長屋の近くにも地蔵があった。子どもの頃、地蔵盆になると、冷えたミカン水をもらった思い出がある。

 「福幸地蔵尊」と名付け、看板を立てた。震災発生から3年が過ぎていた。

 浜岡さんの自宅のテーブルに、一枚の写真が立てられている。団地で初めて地蔵盆を開いた1999年の夏。浴衣姿の孫娘らと一緒に写る。

 「それはにぎやかで」。浜岡さんの顔がほころんだ。やぐらが立ち、出店もあった。約300人が集まり、用意した菓子はすぐなくなった。正月にクリスマス、何かというとみな集まった。毎年1月17日には地蔵の周りにろうそくを並べ、黙とうをした。

 責任感の強い吹田さんは各戸を回って、自治会の名簿づくりに奔走した。せっかく知り合った仲間やないですか。一緒に頑張りましょうや。でも、家で酒を飲むと、家族にこぼしていたという。

 「兵庫に戻りたいな」

 5年、10年…。住民の高齢化が進み、地蔵の前に集まることはなくなった。看板も朽ち、外れたまま、ほこらの脇に置かれた。2009年、自治会解散。2年後、吹田さんが77歳で亡くなった。

 昨年夏、浜岡さんはささやかな「地蔵盆」を楽しんだ。

 団地内の公園で遊んでいた10人ほどの子どもに、自動販売機の缶ジュースを振る舞った。「おばちゃん、ありがとう」。感謝の言葉にうれしくなって、地蔵を指さした。

 「お地蔵さんがみんなを守ってくれとんねんで。勉強できるよう、拝んでおいで」。わっと子どもらが駆け出し、ほこらに手を合わせた。

 230世帯のうち、当初からの入居者は130世帯ほどになった。母も亡くなった。入れ替わるように若い家族が多くなり、子どもが増えた。

 にぎやかだった夏を思い出す。地震の時、4カ月だった孫娘は今年が成人式。今では、高校1年生の妹が地蔵の世話を手伝ってくれる。

 「そうねえ」と浜岡さん。今年の夏も子どもたちにジュースをあげよう。それから、少し話そうかしら。ここに地蔵があるわけを。私が毎日通うわけを。(阿部江利)

2015/1/10

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