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震災前年に「若葉荘」で下宿生らと写る野呂太祐さん。階段のそばに自室があった=1994年7月、西宮市上ケ原五番町(野呂和美さん提供)
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震災前年に「若葉荘」で下宿生らと写る野呂太祐さん。階段のそばに自室があった=1994年7月、西宮市上ケ原五番町(野呂和美さん提供)

 三重県松阪市飯高町、櫛田(くしだ)川の清流近く、旧街道に民家や畑が広がる。阪神・淡路大震災で亡くなった関西学院大1年の野呂太祐(たいすけ)さん=当時(19)=は1994年4月、山あいの集落を離れ、西宮市で暮らし始めた。

 同年2月、国立大の受験で神戸に来た。だが試験後、既に合格していた関学大へ向かい、下宿を紹介してもらった。関学大生になると決めていた。大学まで徒歩10分、上ケ原五番町の「若葉荘」。古いアパートだったが、一目で即決した。

 同行した母和美さん(69)は「このアパートで本当にいいの?」と心配した。太祐さんは「1年間はここでいい。アルバイトで金をためて、移るから」。兄を含め大学生の息子2人に仕送りする家庭の事情を察していた。

 入学式には、正門へと続くバス通りの桜が咲き誇る。ところが、太祐さんは母に「来なくていい」と告げた。内緒で付き合っていた高校の同級生、越山(現姓奥野)香里さん(39)と会う約束をしていたからだった。

 香里さんは関学大近くの神戸女学院大に進学した。若葉荘から坂道を下り約1キロのマンションに下宿。互いに知り合いもおらず、毎夜、長電話をした。

 「香里ちゃんホームシックになるやろ」。からかうように笑う太祐さんだったが、多い日には3回も電話をかけ、寂しがらせまいとしているのが伝わった。香里さんは夏休みまで毎日、モーニングコールをしたが、太祐さんは決まって「おやすみ」と二度寝した。

 友人ができると紹介し合い、カラオケに行ったり、焼き肉を食べに行ったり。香里さんが出演するギター部の演奏会には客席で太祐さんが見守った。思いを伝えたことはなかったが、互いに「特別な存在」と感じていた。

 95年1月。震災の数日前、いつものように電話で話していて、口げんかになった。今は記憶にすらないささいな原因。「じゃあ、もう切るからね」。香里さんが電話を切った。また、いつでも言葉を交わせるはずだった。

 1月17日、若葉荘は倒壊。4人の学生が命を落とした。その中に太祐さんがいた。

 翌日、父母らと共に車で太祐さんは帰郷した。通夜、葬儀は中学、高校や大学の友人、恩師ら大勢の人が弔問。その中に、高校時代の塾講師に付き添われた香里さんがいた。初対面だったが、香里さんは和美さんにすがるように泣きじゃくった。

 和美さんは、ひつぎに添えられた品々の中に「野呂太祐様」という手紙を見つけた。差出人は香里さん。手紙だけを取り出した。(増井哲夫)

2015/1/10

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