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 阪神・淡路大震災から20年となった1月17日が過ぎていく。日が暮れても、献花の列は絶えない。亡き娘をしのぶ。亡き友を思う。戻ることのない日々。それでも、あの日を背負い、懸命に生きてきた。語り合い、伝えていく。それが生きる力に変わる。震災21年目の一歩。受け継いでいこう。世代を超えて。これからも、ずっと。

 「最近、どうや」

 17日夜。震災で亡くなった神戸市長田区の御蔵小学校5年、山内瑞絵(みずえ)さん=当時(11)=の自宅で、18回目となる“同窓会”が開かれた。

 家庭を築いた男性や、地元で働く女性が集まり、母多喜子さん(59)が手作りした串カツや空揚げを食べる。全員が瑞絵さんの御蔵小時代の同級生。仏壇には、ピースサインの遺影がある。

 瑞絵さんは御蔵小でただ一人、犠牲になった。3人きょうだいの末っ子だ。習字が得意で、バレーボールクラブでセッターを務めた活発な女の子。激震で崩れた自宅から機動隊に運び出されたが、手遅れだった。

 「お参りさせてください」

 震災から3年となった1月17日。自宅を再建し、転居先の京都から戻った多喜子さんを同級生が訪ねてきた。中学校の制服を着て、小遣いで買った花を手に持っていた。多喜子さんは「突然でびっくりしたけど、うれしかった」と振り返る。

 それから毎年1月17日、同級生は欠かさず来るようになった。高校生になり、成人式を迎え、就職しても、多いときで20人ほどがやってきた。「1・17は『さあ、今年は何を作ろうか』と思う日になりました」。多喜子さんは早朝、夫の修さん(63)と墓参りをした後、終日、自宅で同級生らを出迎える。

 「『いつも心は46人分』が合言葉だった」。神戸市長田区の会社員永澤徹朗さん(31)は話す。同級生は、瑞絵さんに思いを伝えようと、小学校の卒業まで順番に日記を書いてきた。「大人になった今も覚えている。自分の子どもにも、いつか話したい」

 「1月17日は、ここに来るのが自然な流れです」と、同区の派遣社員青島未来(みく)さん(31)。冗談を言い合いながらも、いつしか話題は小学校時代に落ち着く。忙しくなり、夜に集まる人数は減った。それでも、十数人が朝から相次いで訪れる。

 あの日を思うと、多喜子さんの目から今も涙がこぼれる。娘は11歳のままで、同級生の成長に重ね合わせることはできない。それでも、多喜子さんは目を細め、言った。

 「この子たちがいなければ、全く違う1・17になっていた。笑顔で話すうちに、時間が過ぎていくの」

(上田勇紀)

2015/1/18

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