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高須恒さんが見守る中、長男厚志さんのトランペットを吹き鳴らす孫たち=静岡県磐田市気子島
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高須恒さんが見守る中、長男厚志さんのトランペットを吹き鳴らす孫たち=静岡県磐田市気子島

 阪神・淡路大震災で関西学院大の下宿生14人が命を落とした。遠く、震災の記憶の薄い故郷で、亡き人への思いと共に生きる家族らを訪ねた。

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 静岡県磐田市気子島、天竜川流域に広がる田園地帯。高須恒(ひさし)さん(69)、道子さん(66)夫妻が暮らす真新しい木造平屋の玄関が、にぎやかな声とともに開く。「じいちゃん、来たよ」。幼稚園から小学6年まで4人の孫が仏間へなだれ込んだ。仏壇から夫妻の長男厚志さん=当時(21)=の遺影が見守る。

 厚志さんは関西学院大3年の時、阪神・淡路大震災で下宿「市ケ谷荘」(西宮市上ケ原九番町)が倒壊し、1階で亡くなった。

 築80年近い2階建ての実家は、2008年に建て替えられた。2階にあった厚志さんの部屋の遺品は物置などに片付けたが、愛用していた銀色と真ちゅう色、2本のトランペットは今も取り出すことがある。

 厚志さんは小学5年で鼓笛隊に入り、トランペットを始めた。この時に買ったのが銀色。中学、高校と吹奏楽部に入り、体育会などで腕前を披露した。だが、恒さんは当時勤めていた自動車工場が忙しく、「一度も聴いてやれなかった」。

 大学で軽音楽部に入った厚志さんは、真ちゅうのトランペットを手にステージに立った。しかし当時、建築関連会社を立ち上げた恒さんは一層多忙になっていた。自分からは出向きにくい父をおもんぱかった厚志さんが、その後の演奏会に招待するつもりだったことを震災後、軽音の友人から聞いた。

 1996年夏、恒さんはがんを患った。当初は「息子を失って、今度は自分」と落ち込んだが、3カ月の入院で死と向き合い、生きているありがたさを思い知った。音楽を聴くなど何でもないことが素晴らしい。退院し、震災後ふさぎ込んでいた道子さんを誘い、東北へ旅行に出掛けた。

 その後も毎年、夫婦で国内外の旅行を重ねた。触発されるように、道子さんも2000年ごろからピアノを始め、2年前からはフラメンコを習い始めた。

 7年前に次女智子さん(39)が夫や子どもと近くに移り住んだ。孫たちが連日訪れ、厚志さんのトランペットは「格好の遊び道具になった」と恒さん。

 いつものように訪れた孫たちが、仏間でトランペットを吹き始めた。「うるさいよ」。そう言いながらも恒さんの頬が緩む。真ちゅうの方を手に小6の礼以(れい)君(12)が音を出すと、負けじと小3の菜音(なお)さん(9)も銀色を鳴らす。「私、トランペットやる」。そんな言葉にさらに目尻が下がった。

 毎年1月17日は夫妻だけで下宿跡や関学を訪れる。「孫たちが『行く』って言うかもしれないね」。20年の節目は大勢で迎えることになりそうだ。(増井哲夫)

2015/1/10

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