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震災3日目に全焼した青山さんの自宅。1階のガレージ部分だけが焼け残った=神戸市東灘区本山中町4(1995年撮影・提供写真)
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震災3日目に全焼した青山さんの自宅。1階のガレージ部分だけが焼け残った=神戸市東灘区本山中町4(1995年撮影・提供写真)
青山恵子さんが焼け跡の壁に書いたメッセージ=2013年6月撮影(提供写真)
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青山恵子さんが焼け跡の壁に書いたメッセージ=2013年6月撮影(提供写真)

 「全員元気でいます」-。阪神・淡路大震災後、18年半にわたって神戸市内の被災地に残されていた伝言が昨夏、跡地整理に伴って消えた。新築の自宅を震災直後の火災で失いながら、家族の無事を伝えるために焼け跡の壁に書いたメッセージ。しかし、筆者の女性は20年たった今も心の傷に苦しむ。伝言は役目を終えたが「震災は終わっていない」と訴える。(松本寿美子)

 同市東灘区本山中町4で被災した青山恵子さん(63)。震災前の11月、木造2階建ての新居が完成し、夫と小学生の子ども2人と暮らしていた。激震にピアノが10畳のリビングを走り抜けたが、自宅も家族も無事だった。

 しかし、1月19日朝、避難先の知人宅から帰ると住居部分は全焼し、鉄筋コンクリート製のガレージ部分だけが焼け残っていた。付近で発生した火災が延焼していた。青山さんは「夫にしがみついて叫んでいた。自宅で人助けをする気でいたのに」と振り返る。

 必死で心をなだめ、訪れた人が心配しないようにと、無事を知らせる伝言と、身を寄せる実姉宅の連絡先を、焼け跡の炭でガレージの壁に書いた。

 青山さんは当時、大阪府摂津市の小学教諭だった。約2週間後に職場復帰し、約3年後には同府高槻市に自宅を再建した。

 日常と思い出を奪われた喪失感は大きかった。しかし「大勢の犠牲者が出た中、家が燃えただけで大した被害じゃない」と自分に言い聞かせ、がむしゃらに働いた。

 震災10年目、心は悲鳴を上げ、不眠症になった。病院で「燃え尽き症候群」と診断され、約3カ月間休職。その後も再発し、57歳で退職した。

 被災の記憶を思い出したり、すっかり変わってしまった街並みを見たりするのがつらく、神戸の自宅跡には足が向かない。ようやく着手した跡地整理も夫に任せ切りで、ガレージも知らない間に解体されていた。

 震災20年。心の不調に苦しむ青山さんは「震災が忘れられるのは嫌。本当は自然に消えるまで伝言を残したかった」と打ち明け、「被災者一人一人に語り尽くせない思いがあることを忘れないでほしい」と訴える。

2014/12/1

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