「なんちゅうこっちゃ、ほんま、なんちゅうこっちゃ…」。燃えさかる神戸・新長田を撮影していた神戸市広報課員は無意識に声を漏らした-。阪神・淡路大震災が起きた1995年1月17日朝の貴重な映像として、テレビで何度も放映された動画の全容が14日、神戸市内で初上映される。「あれから20年。被災者の心理的な影響を考慮して控えてきたが、そろそろ次代に引き継がねば」と公開に踏み切る。(木村信行)
撮影は当時、広報課員の松崎太亮(たいすけ)さん(54)。あの朝、同市須磨区の自宅で跳び起きた。食器棚のガラスは散乱したが、家族は無事。偶然自宅に持ち帰っていた小型のビデオカメラを抱え、自転車で飛び出した。
近くの高台から市街地を見下ろす。朝焼けで輝く海の上空を黒煙が覆う。小さな灰が舞っている。見たままの光景を解説しながら、カメラを回す。
黒煙を目指して南下した。波打つ道路。傾いた家々。被害の大きさに身震いした。ようやく上司と連絡が取れた。「撮っているか」「はい」「そのまま撮りまくれ!」
これが広報課員の役目だと心に決めた。須磨区・板宿周辺から長田区へ。
空襲を受けたような大火が町をのみ込んでいた。周辺は松崎さんが生まれ育った地域だった。商店街の裏にあった友人の家。通った銭湯、プラモデル店。すべてが崩れ落ち、炎の中にあった。消防団員も住民も、ただ立ち尽くしていた。なんちゅうこっちゃ…。
「戦争映画で見た光景が目の前に広がっていた。パニックになっていた」と振り返る。
一日中、市内を走り回り、夜、神戸市役所の災害対策本部で笹山幸俊市長(当時、故人)らに見せ、被害の実態を伝えた。「ここも、あそこも焼け落ちたか」。幹部らがつぶやいた。
バッテリーを節約しながら撮った17日の映像は30カ所、1時間半。一部をマスコミに提供した。世界にSOSを発信しようと徹夜で画像処理し、全国の自治体に先駆けて立ち上げた市のホームページに英語版を特設した。
1年間、撮り続けた映像は計48時間。復興の道のりを盛り込んだ短縮版をつくり、上映会を開く。午後4時半から。無料。申し込み不要。会場は神戸市中央区元町通4、こうべまちづくり会館TEL078・361・4523