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現在は草木に覆われ、陥没部分も見えない=神戸市北区有馬町
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現在は草木に覆われ、陥没部分も見えない=神戸市北区有馬町
震災で崩落した県道。フェンスを設け、落石などをそのまま保存した=神戸市北区有馬町
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震災で崩落した県道。フェンスを設け、落石などをそのまま保存した=神戸市北区有馬町
コンクリート壁を鉄骨で補強し、残された亀裂=芦屋市山手町3、ヨドコウ迎賓館(撮影・中西幸大)
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コンクリート壁を鉄骨で補強し、残された亀裂=芦屋市山手町3、ヨドコウ迎賓館(撮影・中西幸大)

 阪神・淡路大震災を伝える遺構は被災地にわずかしか残っていないが、震災直後の神戸市などは、市街地の早期復興を第一に掲げつつも、公園や道路などで地震の痕跡を残そうとしていた。震災の記憶が風化する中、専門家らは震災遺構に注目している。

 震災翌年の1996年、神戸市は、公園を管理する各建設事務所に「震災を後世に伝えるため、残せるものがあったら企画してほしい」と指示した。

 同市須磨区の須磨浦公園では、約2・4トンの石製オブジェが塀の外に転がり落ちたが、そのまま保存。当時、西部建設事務所公園緑地係長だった林潤一さん(63)は「人目を引くものを残せれば良かったが、早い復旧が求められた中では難しかった。小さくても震災を知ってもらうために保存した」と語る。

 市は他にも橋など4カ所を選び、通常の災害復旧とは別枠で、被災箇所を残す修復工事を行ったという。

 一方で、遺構として残したものの、震災から19年の歳月とともに失われた場所もある。大規模な地滑りが発生した六甲山山頂近くの県道(神戸市北区)では、別の場所に新たな県道を整備した上で、陥没や落石があった旧道をフェンスで囲い、ハイカーらが見られるよう遊歩道や案内板も設置した。

 だが、現在は地滑りで転がり落ちた石はほとんどなく、案内板も生い茂る草に隠れている。北建設事務所工事第1係長だった三島功裕さん(53)=現市都心三宮再整備担当部長=は「いずれ痕跡そのものはなくなっても、旧道の存在と案内板で伝えたかった」と話すが、費用負担もあり管理が困難だった。

 芦屋市の国重要文化財「ヨドコウ迎賓館」は全体が損傷し修復したが、倉庫内の壁に生じた約2メートル四方の亀裂だけ残した。

 「どんな壊れ方でどう直したかが、後の人にも分かるようにした」と修理委員会委員を務めた村上裕道・兵庫県教育委員会文化財課長(59)。原則非公開だが、混雑時でなければ見学希望に応じており、山元勝彦館長(66)は「震災の記憶が薄れるにつれ貴重になっている」と話していた。(松本寿美子)

2014/7/17
 

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